キハ20系 (Part1)
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◆キハ20
 キハ20 1〜103(1次車)
201〜484(2次車)
501〜522(3次車)
601, 602(旧キハ200番代、簡易郵便荷物車)
651(旧キハ20200番代、簡易郵便荷物車)
 キハ55系に続いて製造されたキハ20系の中心形式として製造された両運転台形の一般形気動車で、1957〜1965(昭和32〜40)年に409両製造された。その後、1967〜1968(昭和42〜43)年に3両が簡易郵便荷物車(600番代または650番代)に改造されている。
 キハ20 1〜103は1次車として製造されたグループで、1957〜1958(昭和32〜33)年に東急車輌、帝国車輌、富士重工業で103両製造された。車体構造はキハ10系に比べて大形化され、車体幅も2600mmから2800mmに拡大された軽量車体に変更されたが、客窓はキハ10系と同様に上段がHゴム支持の固定窓となっている(通称:バス窓タイプ)。室内はセミクロスシートとなっており、出入口は2カ所設けられいる。後位にも運転台が設けられ両運転台となっており、便所も後位に設けられている(水タンクは床下に搭載)。機関はDMH17B(160PS/1,500rpm)を1台搭載し(後にDMH17Cへ改造)、台車はキハ17系と同系のDT19C(TR49A)を使用している。1968(昭和43)年に2両がキハ20形600番代に改造された。北海道を除く全国で使用されたが、1990(平成2)年までに廃車となり区分消滅した。

 キハ20 201〜484は2次車として製造されたグループで、1958〜1962(昭和33〜37)年に富士重工業、東急車輌、帝国車輌、日本車輌で284両製造された。車体構造はキハ20形0番代と同じになっているが、客窓が2段上昇式に変更されている。機関は出力が増強された180PS(1,500rpm)のDMH17Cとなり、台車はキハ55系と同系のDT22A(TR51A)に変更されている。1967(昭和42)年に1両がキハ20形650番代に改造された。北海道を除く全国で使用されたが、1991(平成3)年までに全車廃車となり区分消滅した。

 キハ20 501〜522は3次車として製造されたグループで、1964〜1965(昭和39〜40)年に東急車輌、日本車輌、帝国車輌で22両製造された。車体構造はキハ20形200番代と同じになっているが、室内灯が蛍光灯に変更され、台車もDT22C(TR51B)に変更された。1993(平成5)年までに全車廃車となり形式消滅した。

 キハ20 601, 602はキハ20形0番代を改造した簡易郵便荷物車で、1968(昭和43)年に名古屋工で2両改造された。キハ20形650番代と同様に客室中央部と出入台付近の2カ所にアコーディオン式のカーテンが設置され、客室半分をロングシート化して客荷両用の簡易郵便荷物室としている。種車の関係で客窓は上段がHゴム支持の固定窓となっており(通称:バス窓タイプ)、機関は180PS(1,500rpm)のDMH17Cを1台搭載し、台車はDT19C(TR49A)を使用している。1981(昭和56)年までに2両とも廃車となり区分消滅した。

 キハ20 651はキハ20形200番代を改造した簡易郵便荷物車で、1967(昭和42)年に長野工で1両改造された。客室中央部と出入台付近の2カ所にアコーディオン式のカーテンが設置され、客室半分をロングシート化して客荷両用の簡易郵便荷物室としている。種車の関係で客窓は2段上昇式となっており、機関は180PS(1,500rpm)のDMH17Cを1台搭載し、台車はDT22A(TR51A)を使用している。長野に配置され 飯山線などで使用されたが、1985(昭和60)年に廃車となり区分消滅した。

キハ20 90
キハ20 90(分ノカ
南延岡機関区、1986年 3月 2日

 <車両履歴>
  キハ20 90 (1958年/新製)
    
   −−− (1986年/廃車)
キハ20 247
キハ20 247
真岡鐵道真岡駅、1992年 5月29日

 <車両履歴>
  キハ20 247 (1959年/新製)
    
   −−−  (1988年/廃車)



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◆キハ21
 キハ21 1〜84(北海道向け)
101〜103(旧キハ210番代、北海道向け、通勤兼新聞輸送用車)
 両運転台形キハ20形0番代を基本に北海道向けとして製造された一般形気動車で、1957〜1958(昭和32〜33)年に84両製造された。その後、1968(昭和43)年に3両が通勤兼新聞輸送用車に改造されている。
 キハ21 1〜84は北海道向けに新製されたグループで、1957〜1958(昭和32〜33)年に新潟鉄工所、帝国車輌で84両製造された。車体構造はキハ20形0番代と同じであるが、北海道向けで耐寒耐雪構造のため客窓は二重窓となっており、各種機器類には凍結対策が施されている。機関はDMH17B(160PS/1,500rpm)を1台搭載し、台車はDT19C(TR49A)を使用している。1968(昭和43)年に3両が通勤兼新聞輸送用車キハ21形100番代に改造された。1984(昭和59)年までに全車廃車となり形式消滅した。

 キハ21 101〜103はキハ20形0番代を改造した通勤兼新聞輸送用車で、1968(昭和43)年に苗穂工で3両改造された。客室全体をロングシート化して、便所の向かい側に貴重品箱、事務机を設けて通勤兼新聞輸送用車としている。苗穂に配置され 主に札沼線で使用されたが、1981(昭和56)年までに廃車となり区分消滅した。



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◆キハ22
 キハ22 1〜170(北海道向け、1次車)
201〜343(北海道向け、2次車)
601〜605(旧キハ22200番代、北海道向け、簡易郵便荷物車)
701〜706(旧キハ22200番代、北海道向け、ワンマン化改造車)
 両運転台形キハ20形200番代を基本に北海道向けとして製造された一般形気動車で、1958〜1966(昭和33〜41)年に1次車170両、寒地向け143両、合計98両が製造された。1980〜1990(昭和55〜平成2)年に5両が簡易郵便荷物車に、6両がワンマン改造車に改造されている。
 キハ22 1〜170は1次車として製造されたグループで、1958〜1963(昭和33〜38)年に帝国車輌、富士重工業、日本車輌、新潟鉄工所で170両製造された。基本設計はキハ20形200番代と共通であるが、北海道向けのため客室と出入台を仕切ったデッキ式の車体構造となっており、耐寒耐雪構造のため客窓は一段上昇式で 各種機器類には温水管を設けるなどの凍結対策が施されている。室内は出入台付近を一部ロングシート化したセミクロスシートとなっており、後位には便所が設けられている。機関は180PS(1,500rpm)のDMH17Bを1台搭載し(後にDMH17Cへ改造)、台車はキハ55系と同系のDT22A(TR51A)を使用している。北海道、東北地区で使用されたが、1991(平成3)年までに全車廃車となり区分消滅した。

 キハ22 201〜343は2次車として製造されたグループで、1963〜1966(昭和38〜41)年に新潟鉄工所、帝国車輌、富士重工業、日本車輌で143両製造された。車体構造はキハ22形0番代と同じになっているが、室内灯が蛍光灯に変更されるなど小改良が行われた。機関はDMH17C(180PS/1,500rpm)となり、台車はDT22C(TR51B)に変更された。5両が1980(昭和55)年にキハ22形600番代に改造され、6両が1990(平成2)年にキハ22形700番代に改造された。北海道、東北地区で使用されたが、1995(平成7)年までに全車廃車となり区分消滅した。

 キハ22 601〜605キハ22形200番代を改造した簡易郵便荷物車で、1980(昭和55)年に釧路車両管理所、苗穂工で5両改造された。キハ20形600番代と同様に客室中央部と出入台付近の2カ所にアコーディオン式のカーテンが設置され、客室半分をロングシート化して客荷両用の簡易郵便荷物室としている(客窓に保護棒を取り付けた)。釧路と苗穂に配置され使用されたが、JR移行直前の1987(昭和62)年までに廃車となり区分消滅した。

 キハ22 701〜706はJR北海道においてキハ22形200番代をワンマン化改造したグループで、1990(平成2)年に苗穂工、五稜郭車両所で6両改造された。改造では 運転席後部の出入台にワンマン機器が取り付けられ、同時に塗装を北海道色に変更した。苫小牧と函館に配置され 函館本線(砂川〜上砂川間)と函館地区で使用されたが、1995(平成7)年までに廃車となり区分消滅した。

キハ22 87
キハ22 87(釧クシ
釧路駅、1986年 9月10日

 <車両履歴>
  キハ22 87 (1960年/新製)
    
   −−− (1986年/廃車)
キハ22 268
キハ22 268(仙シン
小牛田運輸区、1991年11月 1日

 <車両履歴>
  キハ22 268 (1966年/新製)
    
   −−−  (1991年/廃車)



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◆キハ25
 キハ25 1〜75(1次車)
201〜253(2次車)
301〜314(3次車)
601〜608(旧キハ250番代、簡易郵便荷物車)
651〜657(旧キハ25200番代、簡易郵便荷物車)
 両運転台形キハ20形とともに製造された片運転台形の一般形気動車で、1957〜1965(昭和32〜40)年に409両製造された。その後、1967〜1968(昭和42〜43)年に3両が簡易郵便荷物車(600番代または650番代)に改造されている。
 キハ25 1〜75は1次車としてキハ20形0番代とともに製造されたグループで、1957〜1958(昭和32〜33)年に富士重工業、東急車輌で75両製造された。車体構造はキハ10系に比べて大形化され、車体幅も2600mmから2800mmに拡大された軽量車体に変更されたが、客窓はキハ10系と同様に上段がHゴム支持の固定窓となっている(通称:バス窓タイプ)。室内はセミクロスシートで、出入口は2カ所設けられており、後位に便所が設けられている(水タンクは床下に搭載)。機関はDMH17B(160PS/1,500rpm)を1台搭載し(後にDMH17Cへ改造)、台車はキハ17系と同系のDT19C(TR49A)を使用している。1967〜1973(昭和42〜48)年に8両がキハ25形600番代に改造された。北海道を除く全国のローカル線で使用されたが、1984(昭和59)年までに廃車となり区分消滅した。

 キハ25 201〜253は2次車としてキハ20形200番代とともに製造されたグループで、1958〜1960(昭和33〜35)年に東急車輌、富士重工業で53両製造された。車体構造はキハ25形0番代と同じになっているが、客窓が2段上昇式に変更されている。機関は出力が増強された180PS(1,500rpm)のDMH17Cとなり、台車はキハ55系と同系のDT22A(TR51A)となっている。1968〜1971(昭和43〜46)年に7両がキハ25形650番代に改造された。北海道を除く全国のローカル線で使用されたが、1986(昭和61)年までに全車廃車となり区分消滅した。

 キハ25 301〜314は3次車としてキハ20形500番代とともに製造されたグループで、1963(昭和38)年に東急車輌で14両製造された。車体構造はキハ25形200番代と同じになっているが、室内灯が蛍光灯に変更され、台車もDT22C(TR51B)に変更された。水戸、真岡に配属され水郡線や真岡線などで使用されたが、JR移行直前の1987(昭和62)年までに全車廃車となり形式消滅した。

 キハ25 601〜608はキハ25形0番代を改造した簡易郵便荷物車で、1967〜1973(昭和42〜48)年に新小岩、高砂工などで8両改造された。キハ20形650番代と同様に客室中央部と出入台付近の2カ所にアコーディオン式のカーテンが設置され、客室の前位側(運転室側)半分をロングシート化して客荷両用の簡易郵便荷物室としている。種車の関係で客窓は上段がHゴム支持の固定窓となっており(通称:バス窓タイプ)、機関は150PS(1,500rpm)のDMH17Bを1台搭載し、台車はDT19C(TR49A)を使用している。主に郡山、厚狭に配属されローカル線で使用されたが、1985(昭和60)年までに廃車となり区分消滅した。

 キハ25 651〜657はキハ25形200番代を改造した簡易郵便荷物車で、1968〜1971(昭和43〜46)年に盛岡、高砂工などで7両改造された。客室中央部と出入台付近の2カ所にアコーディオン式のカーテンが設置され、客室の前位側(運転室側)半分をロングシート化して客荷両用の簡易郵便荷物室としている。種車の関係で客窓は2段上昇式となっており、機関は180PS(1,500rpm)のDMH17Cを1台搭載し、台車はDT22A(TR51A)を使用している。主に山形、鹿児島に配属されローカル線で使用されたが、1983(昭和58)年に廃車となり区分消滅した。

キハ25 304
キハ25 304(水ミト
水戸駅、1985年 3月 4日

 <車両履歴>
  キハ25 304(1963年/新製)
    
   −−− (1987年/廃車)


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