キハ80系
HOME


TOPPREVNEXTBOTTOM

◆キハ80
 キハ80 1〜12
13〜166
901(旧キロ80)
 キハ81形などとともに登場した特急形気動車の中間座席車で、1960〜1967(昭和35〜42)年に166両製造された。その後、1968(昭和43)年にキロ80形を格下げ改造した1両が編入されている。
 キハ80 1〜12キハ81キロ80キサシ80形とともに特急「はつかり」用として登場したグループで、1960(昭和35)年に富士重工業、汽車製造、東急車輌、日本車輌で12両製造された。車体構造は151系直流電車を基本としており、客室は折畳み式テーブル付きの回転クロスシートが並んだ配置となっている(定員72名)。連結面には外周面を覆う外ホロが設けられており、内ホロ、外ホロともファスナーで留めるようになっている(後に外ホロは撤去され 内ホロも普通形に交換された)。冷房装置はキノコ形のAU12(2ユニット入り)が3台搭載されている。駆動用機関(DMH17H〈180PS/1,500rpm〉)は2台搭載されており、台車は空気バネ付きのDT27を使用している(後にDT31Bに交換)。当初、尾久に配置され特急「はつかり」で使用され、同列車の電車化後は北海道地区、向日町、和歌山へ転属となったが、老朽化のため1983(昭和58)年までに全車廃車となった。

 キハ80 13〜166は 特急「かもめ」などの気動車化によりキハ82形0番代とともに登場したグループで、1961〜1967(昭和36〜42)年に東急車輌、富士重工業、日本車輌、帝国車輌、新潟鉄工所で154両製造された。車体構造はキハ80 1〜12を基本としているが、連結面の外ホロは廃止となり、台車はディスクブレーキ式のDT31Aに変更されている(キハ80 119以降はDT31Bを使用)。当初、函館、尾久、向日町に配置され特急「おおぞら」「つばさ」「白鳥」「かもめ」などで使用され、その後は四国を除く全国のディーゼル特急で使用されたが、特急「南紀」で使用されたのを最後に1992(平成4)年のダイヤ改正で運用を離脱し、現在は名古屋に1両(保存車)が在籍するのみとなっている。

 キハ80 901は 特急「はつかり」の電車化で余剰となったキロ80形を改造編入した車両で、1968(昭和43)年に土崎工で1両改造された。改造では 前位の車掌室・荷物保管室と後位の便所・洗面所を撤去して、座席をリクライニングシートから回転クロスシートに交換してキハ80形0番代と同様の設備に変更された(定員72名)。窓配置は種車の狭窓のままとなっているため、窓配置とシートピッチが合っていない。台車はキハ80 119以降と同じディスクブレーキ式改良形のDT31Bに交換された。向日町に配置され、その後は鹿児島へ転属し特急「にちりん」「おおよど」などで使用されたが、1979(昭和54)年に廃車となり区分消滅した。

キハ80 153
キハ80 153(函ハコ
帯広運転区、1986年 9月14日

 <車両履歴>
  キハ80 153 (1965年/新製)
    
   −−−  (1987年/廃車)



TOPPREVNEXTBOTTOM

◆キハ81
 キハ81 1〜6
 日本初のディーゼル特急「はつかり」用としてキハ80キロ80キサシ80形とともに製造された先頭座席車で、1960(昭和35)年に近畿車輌、帝国車輌で6両製造された。特急「こだま」用の151系直流電車と同様にボンネット形となっているが、タブレット授受を考慮して運転台部分の位置下げられていたため独特の外観となっている(「ブルドッグ」と呼ばれた)。ボンネット部分には電源発電装置が搭載されており、車内配置は前位から順に運転室、機械室、洗面所・便所、客室、物置・売店、出入台となっている。連結面には外周面を覆う外ホロが設けられており、内ホロ、外ホロともファスナーで留めるようになっている(後に外ホロは撤去され 内ホロも普通形に交換された)。冷房装置はキノコ形のAU12(2ユニット入り)が2台搭載されていたが、後に機械室部分の屋根上に小形の冷房装置AU14が1台増設された。駆動用機関(DMH17H〈180PS/1,500rpm〉)は1台のみ搭載となっており、台車は空気バネ付きのDT27を使用している。当初、尾久に配置され特急「はつかり」で使用され、同列車の電車化後は秋田へ転属して特急「つばさ」「いなほ」「ひたち」で使用された。晩年は和歌山へ転属し特急「くろしお」で使用されたが、老朽化のため1979(昭和54)年までに全車廃車となり形式消滅した。

キハ81 5
キハ81 5(天ワカ 新宮駅、1977年 3月18日

 写真:「ボンネット特急の世界へようこそ」のクロ151さんより提供

 <車両履歴>
  キハ81 5 (1960年/新製)
    
   −−− (1979年/廃車)



TOPPREVNEXTBOTTOM

◆キハ82
 キハ82 1〜110
901, 902(旧キロ80)
 キハ81形に引き続き製造された特急形気動車の先頭座席車で、1961〜1967(昭和36〜42)年に110両製造された。その後、1968〜1970(昭和43〜45)年にキロ80形を先頭車化改造した2両が編入されている。
 キハ82 1〜110は 特急「かもめ」などの気動車化によりキシ80形0番代などとともに登場したグループで、1961〜1967(昭和36〜42)年に日本車輌、新潟鉄工所、帝国車輌、富士重工業で110両製造された。車体構造は分割併合などの効率的な運用ができるようにキハ81形のボンネット形から正面貫通形に変更となり、運転台は曲面ガラスを持つ独特な形状で、併結時などで編成中間に入るときは運転席正面扉を折り畳めるようになっている。駆動用機関はキハ81形と同じDMH17H(180PS/1,500rpm)を1台のみ搭載しているが、電源発電装置を床下に搭載しているため、定員は52名に拡大している。冷房装置はAU12(2ユニット入り)が2台搭載されているが、1963(昭和38)年以降に増備されたキハ82 47〜110はAU12(1ユニット入り)が新製時から1台増設されている(後にキハ82 1〜46も増設工事が施された)。台車はディスクブレーキ式でDT31A(TR68)を使用している(キハ82 78以降はDT31B〈TR68A〉)を使用)。当初、函館、尾久、向日町に配置され特急「おおぞら」「つばさ」「白鳥」「かもめ」などで使用され、その後は四国を除く全国のディーゼル特急で使用されたが、特急「南紀」で使用されたのを最後に1992(平成4)年のダイヤ改正で運用を離脱した。現在は名古屋に2両(保存車)が在籍するのみとなっている。

 キハ82 901, 902は 特急「はつかり」の電車化で余剰となったキロ80形を先頭車化改造したグループで、1968〜1970(昭和43〜45)年に大宮工で2両改造された。車端部(便所、洗面所と一部の客席部分)を運転室と機械室に改造し、車掌室、荷物保管室を撤去してキハ82形と同様の客室とした構造となっており(定員:52名)、外観はキハ82形の先頭部とキロ80形の狭窓を合わせたものになっている。台車はキハ82 78以降と同じディスクブレーキ式改良形のDT31B(TR68A)に交換された。函館などに配置され特急「おおぞら」などで使用されたが、1982(昭和57)年までに全車廃車となり区分消滅した。

キハ82 18
キハ82 18(名ナコ 高山駅、1978年12月 2日

 写真:「ボンネット特急の世界へようこそ」のクロ151さんより提供

 <車両履歴>
  キハ82 18 (1961年/新製)
    
   −−− (1981年/廃車)
キハ82 100
キハ82 100(函ハコと表記
三笠市クロフォード公園、2000年 7月10日

 <車両履歴>
  キハ82 100 (1965年/新製)
    ↓
   −−−  (1987年/廃車)



TOPPREVNEXTBOTTOM

◆キロ80
 キロ80 1〜5
6〜62
 キハ81形などとともに登場した特急形気動車の1等車(後のグリーン車)で、1960〜1967(昭和35〜42)年に62両製造された。
 キロ80 1〜5キハ80キハ81キサシ80形とともに特急「はつかり」用として登場したグループで、1960(昭和35)年に新潟鉄工所、日立製作所で5両製造された。車体構造は151系直流電車を基本としているが、車内配置は前位から順に出入台、便所・洗面所、乗務員室・荷物保管室、客室(定員48名)、便所・水タンク室・洗面所となっている。座席はヘッドレストを上下にスライドできる回転リクライニングシートとなっており、当初はシートラジオが付けられていた(後に廃止)。連結面には外周面を覆う外ホロが設けられており、内ホロ、外ホロともファスナーで留めるようになっている(後に外ホロは撤去され 内ホロも普通形に交換された)。屋根上にはキノコ形の冷房装置 AU12(2ユニット入り)が3台搭載されており、後にキロ80 6以降と同様の屋上水タンクが後位側端部に増設された。駆動用機関はDMH17H(180PS/1,500rpm)を2台搭載しており、台車は空気バネ付きのDT27を使用している(後にDT31Bに交換)。尾久に新製配置され特急「はつかり」で使用されたが、同列車の電車化に伴い余剰となり 1968(昭和43)年に1両がキハ80形900番代に改造され、1968〜1969(昭和43〜44)年に2両がキハ82形900番代に改造された。残りの2両は秋田(後に和歌山)へ転属となり特急「いなほ」「ひたち」「くろしお」で使用されたが、1977(昭和52)年に2両とも廃車となった。

 キロ80 6〜62キハ82形0番代とともに登場したグループで、1961〜1967(昭和36〜42)年に日本車輌、新潟鉄工所で57両製造された。車体構造はキロ80 1〜5を基本としているが、水タンクが容量増大のため屋根上に1台増設されており、連結面の外ホロは廃止され、台車はディスクブレーキ式のDT31Aに変更された(キロ80 48以降はDT31Bを使用)。当初、函館、尾久、向日町に配置され特急「おおぞら」「つばさ」「白鳥」「かもめ」などで使用され、その後は四国を除く全国のディーゼル特急で使用されたが、特急「南紀」で使用されたのを最後に1992(平成4)年のダイヤ改正で運用を離脱し、現在は名古屋に1両(保存車)が在籍するのみとなっている。

キロ80 51
キロ80 51(海ナコ
名古屋運輸区、1993年 1月16日

 <車両履歴>
  キロ80 51 (1965年/新製)
    
   −−− (1994年/廃車)



TOPPREVNEXTBOTTOM

◆キシ80
 キシ80 1〜37
901〜903(旧キサシ80)
 キサシ80形の改良形として登場した駆動用機関付きの食堂車で、1961〜1967(昭和36〜42)年に37両製造された。その後、1968〜1969(昭和43〜44)年にキサシ80形を改造した3両が編入されている。
 キシ80 1〜37は 特急「かもめ」などの気動車化によりキハ82形0番代などとともに登場したグループで、1961〜1967(昭和36〜42)年に日本車輌、新潟鉄工所で37両製造された。先に登場した付随車キサシ80形とは異なり、他の中間車と同様に駆動用機関(DMH17H〈180PS/1,500rpm〉)が2台搭載されているため、水タンクは室内に設置されている。車内配置は前位から順に休憩室・乗務員室、食堂(定員:32名)、調理室、従業員控室、水タンク室となっており、調理室などの構造はキサシ80形と同様となっている。台車はディスクブレーキ式でDT31A(TR68)を使用している(キシ80 35〜37はDT31B〈TR68A〉)を使用)。当初、函館、尾久、向日町に配置され特急「おおぞら」「つばさ」「白鳥」「かもめ」などで使用され、その後は四国を除く全国のディーゼル特急で使用されたが、特急「オホーツク」「おおとり」で使用されたのを最後に1986(昭和61)年のダイヤ改正で運用を離脱した。保留車のまま3両がJR北海道に引き継がれたが、1988(昭和63)年に1両が「トマム サホロ エクスプレス」用のキシ80形500番代に改造され、残った2両は1990(平成2)年に廃車となり区分消滅した。

 キシ80 901〜903は 特急「はつかり」の電車化で余剰となったキサシ80形を改造編入したグループで、1968〜1969(昭和43〜44)年に五稜郭、高砂工で3両改造された。床下の電源発電装置と水タンクを撤去し、代わって駆動用機関(DMH17H〈180PS/1,500rpm〉)を2台取り付け、水タンクを食堂の一部に設置した。車内配置は前位から順に水タンク室・休憩室、食堂(定員:32名)、調理室、従業員控室となっており、台車はキシ80 35〜37と同じディスクブレーキ式改良形のDT31Bに交換された。函館、秋田などに配置され特急「おおぞら」「いなほ」などで使用されたが、1976(昭和51)年までに全車廃車となり区分消滅した。

キシ80 26
キシ80 26(函ハコ
旭川駅、1986年 9月 8日

 <車両履歴>
  キシ80 26 (1964年/新製)
    
   −−− (1987年/廃車)



TOPPREVNEXTBOTTOM

◆キサシ80
 キサシ80 1〜3
SORRY 準備中につき、暫くお待ち下さい。


HOME (C)Copyright 1999-2005 Masahiro Ito.
All rights reserved.