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TOPPREVNEXTBOTTOM 3軸ボギー食堂車(戦時改造車、戦後復元整備車を含む)

◆スシ37 スシ28マシ29スシ47スシ48マシ49、スハ48)
 スシ37 1〜38(ダブルルーフ車、旧スシ37700〜37738)
39〜57(ダブルルーフ車、旧スシ37740〜37758)
58〜78(旧スシ37800〜37820)

 スハ (シ) 48 1〜12(ダブルルーフ車、旧スシ37、戦時改造)
13〜33(旧スシ37、戦時改造)
 スシ37形は 日本初の鋼製食堂車のスシ37700形とその増備車スシ37740形、スシ37800形を統合した形式で、1928〜1935(昭和3〜10)年に78両製造された。
 スシ37 1〜38は日本初の鋼製食堂車で、1928(昭和3)年に川崎車輌、日本車輌で39両製造された。車体形状は従来の大形木製客車の外板を鋼製化した構造となっており、二重屋根(ダブルルーフ)20mの車体を有し、魚腹形台枠を用い、窓は小さく(上下寸法660mm)、台車はTR71を使用している。車内配置は前位から順に物置、調理室、食堂(定員30名)、喫煙室・車掌室、物置となっており、前後の出入台部分は物置が設置されているため扉が塞がれている。1928(昭和3)年10月以前に製造された22両は当初スシ48670〜48691であったが、同年 スシ37700〜37721に改番され、さらにスシ37722〜37738が増備され、1941年(昭和16)年の称号改正でスシ37 1〜38に改番された。1934(昭和9)年にスシ37728が事故廃車となったが、台枠と台車を利用して広窓形の車体を新製してスシ37818(後のスシ37 76)となった。1944〜1945(昭和19〜20)年に戦時改造により全車とも3等車マハ47形(後のマハ29形)に格下げされたが、このグループの車両は戦後も食堂車に復旧されなかった。

 スシ37 39〜57はスシ37700形(後のスシ37 1〜38)に引き続き製造された食堂車で、1930〜1931(昭和5〜6)年に川崎車輌および大宮、鷹取工で19両製造された。車体形状および窓配置はスシ37 1〜38と同じで 二重屋根(ダブルルーフ)となっているが、同時期に製造されたスハ32系などのように側窓の上下寸法が735mmに拡大され、台車はTR74(TR71の改良形)またはTR73に変更されている。製造当初はスシ37740〜37758という車号であったが、1941年(昭和16)年にスシ37 39〜57に改番された。1944〜1945(昭和19〜20)年に戦時改造により 7両が3等車マハ47形(後のマハ29形、写真参照)に格下げされ、12両が調理室付き3等車スハ48形(スハ48 1〜6,9〜12)に格下げされた。戦後、スハ48形のうち9両が進駐軍用に接収されてスシ37形に復旧されたが、接収解除後は急行用の食堂車として使用され、さらに1953(昭和28)年に非冷房車はスシ28形0番代に、冷房車はマシ29形0番代に改番された。スハ48形からスシ37形に復旧されなかった3両は1953(昭和28)年に食堂車に復旧されスシ48形0番代となった。

 スシ37 58〜78はスシ37740形(後のスシ37 39〜57)に引き続き製造された日本初の丸屋根形食堂車で、1933〜1935(昭和8〜10)年に日本車輌、川崎車輌および大井、大宮、鷹取工で21両製造された。窓配置や車内設備等はスシ37 39〜57とほとんど同じであるが、方向が逆となっているため 車内配置は前位から順に物置、車掌室・喫煙室、食堂(定員30名)、調理室、物置となっている。台車はTR73を使用している。製造当初はスシ37800〜37820という車号であったが、1941年(昭和16)年にスシ37 58〜78に改番された。スシ37818(後のスシ37 76→スハ48 31→スシ37 76→スシ28 151)は 事故廃車となったスシ37728の台枠と台車を利用して1200mmの広窓付きの車体を新製した車両のため、他の車両とは車体形状が異なり(後に製造されたスシ38形に似ている)、台車はTR71となっている。1944〜1945(昭和19〜20)年に戦時改造により 19両が調理室付き3等車スハ48形(スハ48 13〜21,23,25〜33)に格下げされ、スハ48形のうち1両は戦災により廃車となり、戦後になって9両は進駐軍用に接収されてスシ37形に復旧された。1949(昭和24)年に 接収解除となったスシ37形 2両とスハ48形のまま残っていた2両が復活特急「へいわ」用としてスシ47形(スシ47 1〜3,11)に改造された。その後、接収解除となったスシ37形は急行用の食堂車として使用されたが、1953(昭和28)年の称号改正で非冷房車はスシ28形100番代に、冷房車はマシ29形100番代に改番された。スハ48形からスシ37形に復旧されずに残っていた5両も1953(昭和28)年にスシ48形10番代に改造され、戦時改造のスハ48形は形式消滅した。

マハ29 65
マハ29 65(岡オカ 岡山駅、1963年 6月

 写真:「北総レール倶楽部」より提供

 <車両履歴>
  スシ37744 (1930年/新製)
    ↓
  スシ37 43 (1941年/改番)
    ↓
  マハ47 203 (1945年/戦時改造)
    ↓
  マハ29 65 (1953年/改番)



(戦後復元整備車-1)
 スシ47 1, 3(旧スシ37←スハ (シ) 48←スシ37)
2(旧スシ39←スハ (シ) 48←スシ37)
11(旧スシ37)
 スシ28 1〜5(ダブルルーフ車、旧スシ37←スハ (シ) 48←スシ37)
101, 102(旧スシ37←スハ (シ) 48←スシ37)
103〜105(旧マシ29←スシ47)
151(旧スシ37←スハ (シ) 48←スシ37、広窓)
 マシ29 1〜4(ダブルルーフ車、旧スシ37←スハ (シ) 48←スシ37、冷房付)
101, 105〜110(旧スシ37←スハ (シ) 48←スシ37、冷房付)
102〜104(旧スシ47←スシ37←スハ (シ) 48←スシ37、冷房付)
201(旧スシ47←スシ37、冷房付)
 スシ47形は 復活特急「へいわ」運転のためにスシ37・スシ39・スハ48形を改造した食堂車で、1949(昭和24)年に大宮、吹田工で4両改造された。当時、全ての食堂車は進駐軍に接収されていたため、種車として 戦時改造で調理室付き3等車に格下げされたままであったスハ48形(スハ48 14, 21)と接収解除となった簡易食堂車スシ39形(スシ39 4)を復元整備してスシ47 1〜3とし、増備車として接収解除となった食堂車スシ37形(スシ37 71)を整備してスシ47 11とした。食堂設備などは戦前のスシ37形に準じているが、日本初の室内塗りつぶし塗装車として整備されている。スシ47 11は 進駐軍接収時代に車掌室と喫煙室を撤去し調理室を拡大しているため、車内配置は前位から順に物置、食堂(定員30名)、調理室、物置となっている。特急「へいわ」(その後「つばめ」と改称)に使用された後は 急行「きりしま」などで使用されたが、1953(昭和28)年にマシ29形100番代(←スシ47 1〜3)またはマシ29形200番代(←スシ47 11)に改番され形式消滅した。

 スシ28形およびマシ29形は 1953(昭和28)年の称号改正の際に接収解除となっていたスシ37形(旧スハ48形←スシ37形)と復活特急用に整備したスシ47形を改番整理して誕生した形式で、非冷房車はスシ28形、冷房車はマシ29形となっている。同年 スハ48形(一部スハシ37形)を復元改造したスシ48形(非冷房車)、マシ49形(冷房車)のように室内灯に蛍光灯を採用していないため、別形式となっている。
 スシ28 1〜5は 二重屋根(ダブルルーフ)のスシ37形を改番整理したグループ(非冷房車)で、種車がスシ37 39〜57(旧スシ37740形)からの改造車となっている。1962(昭和37)年に全車廃車となり区分消滅となった。

 スシ28 101, 102は 丸屋根形のスシ37形を改番整理したグループ(非冷房車)で、種車がスシ37 58〜78(旧スシ37800形)からの改造車となっている。1954(昭和29)年にマシ29形100番代(マシ29 102〜104)の冷房装置を取り外した3両がスシ28 103〜105に編入されている。1967(昭和42)年までに全車廃車となり形式消滅となった。

 スシ28 151は 事故復旧車スシ37 76(旧スシ37818形)を改番整理したグループで、スシ28形100番代と異なり種車が広窓形であるため 150番代として区別されている。車体形状や車内配置等は1200mmの広窓付きのスシ38形と同じであるが、喫煙室部分の側窓が狭窓となっており、事故復旧車のため魚腹形台枠となっており、台車はTR71を使用している。1964(昭和39)年に廃車となり区分消滅となった。

 マシ29 1〜4は二重屋根(ダブルルーフ)のスシ37形を改番整理したグループ(冷房車)で、種車がスシ37 58〜78(旧スシ37800形)となっている。1968(昭和43)年までに全車廃車となり区分消滅した。

 マシ29 101〜110は 丸屋根形のスシ37形を改番整理したグループ(冷房車)で、種車がスシ37 58〜78(旧スシ37800形)からの改造車となっている。1954(昭和29)年に3両(マシ29 102〜104)スシ48形10番代の冷房化改造(→マシ49形)のために冷房装置を取り外してスシ28形100番代に改造され、残りの7両は1968(昭和43)年までに廃車となり区分消滅となった。

 マシ29 201は スシ47 11(旧スシ37 71)を改番整理したグループで、スシ47 11は 進駐軍に接収されていたスシ37 71のときに車掌室と喫煙室を撤去し調理室を拡大しているため、車内配置は前位から順に物置、食堂(定員30名)、調理室、物置となっている。1964(昭和39)年に廃車となり形式消滅となった。

マシ29 2
マシ29 2(大ムコ 京都駅、1964年 -月

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  スシ37750 (1930年/新製)
    ↓
  スシ37 49 (1941年/改番)
    ↓
  スハ48 4 (1944年/戦時改造)
    ↓
  スシ37 49 (1946年/軍用改造)
    ↓
  マシ29 2  (1953年/改番)
マシ29 105
マシ29 105(門ハイ 岡山駅、1961年 5月

 写真:「北総レール倶楽部」より提供

 <車両履歴>
  スシ37810  (1935年/新製)
    ↓
  スシ37 68  (1941年/改番)
    ↓
  スハ48 23 (1945年/戦時改造)
    ↓
  スシ37 68  (1946年/軍用改造)
    ↓
  マシ29 105 (1953年/改造)



(戦後復元整備車-2 <蛍光灯取付車>
 スシ48 1〜3(半切妻形、旧スハ (シ) 48←スシ37、電気暖房付は+2000)
11〜14, 16(旧スハ (シ) 48←スシ37、電気暖房付は+2000)
15(旧スハシ37←スシ37)
 マシ49 1〜3(旧スシ48、冷房付)
 スシ48形は戦時改造により調理室付き3等車に格下げされたままであったスハ48形(一部スハシ37形)を1953(昭和28)年に復元改造して誕生した食堂車で、室内灯に蛍光灯を採用したため、同年スシ37形(一部スシ47形)を改番したスシ28形(非冷房車)、マシ29形(冷房車)とは別形式となっている。マシ49形はさらにスシ48形10番代を冷房化改造して重量が重くなり「マ」級に形式変更した食堂車である。
 スシ48 1〜3は、1953(昭和28)年に調理室付き3等車スハ48形(旧スシ37形)を名古屋工で改造した食堂車。種車がスシ37 39〜57(旧スシ37740形)からの改造車であったため二重屋根(ダブルルーフ)となっていたが、復元改造の際に戦後製オハ35形と同様の半切妻形に改造され、台車はスハシ38形(スハシ38 1〜3)のTR73と交換して揺れマクラ釣りを改造したためTR73となっている。1959(昭和34)年まで東京〜九州間の急行に使用されたが、1両は1959(昭和34)年にオシ17形に改造された。残りの2両は電気暖房を取り付けてスシ48形2000番代となったが、1966(昭和41)年までに全車廃車となり区分消滅となった。

 スシ48 11〜16は 調理室付き3等車スハ48形またはスハシ37形(旧スシ37形)を1953(昭和28)年に長野工で改造した食堂車で、種車は丸屋根形のスシ37 58〜78(旧スシ37800形)からの改造車であるため 10番代として区別された。6両とも車体形状や車内配置等は同じであるが、スシ48 15の種車はスハシ37 11(旧スシ37 67)となっており、他の5両はスシ37形の戦時改造である調理室付き3等車スハ48形を復元改造した車両となっている。1954(昭和29)年、スシ48 13〜15の3両については特急「かもめ」に充当するために冷房化改造されマシ49形となった。残りの3両は電気暖房を取り付け2000番代となったが、1969(昭和44)年までに全車廃車となり形式消滅となった。

 マシ49 1〜3は 特急「かもめ」に充当するためスシ48形10番代を冷房化改造した食堂車で、1954(昭和29)年に高砂工で3両改造された。いずれの車両とも種車がスシ37 58〜78(旧スシ37800形)のグループからの改造車であるため丸屋根形となっている。特急「かもめ」に使用された後は 急行「雲仙」などに使用されたが、1966(昭和41)年に全車廃車となり形式消滅した。

スシ48 12
スシ48 12(鹿カコ 京都駅、1958年 8月 3日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  スシ37804  (1933年/新製)
    ↓
  スシ37 62  (1941年/改番)
    ↓
  スハ48 17 (1944年/戦時改造)
    ↓
  スシ48 12  (1953年/改造)
    
  スシ48 2012 (19--年/電暖化)
マシ49 3
マシ49 3(門タケ 京都駅、1958年 8月 3日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  スシ37809 (1933年/新製)
    ↓
  スシ37 67 (1941年/改番)
    ↓
  スハ48 22(1944年/戦時改造)
    └→
 スハシ37 11(1949年/改造)
   ↓
 スシ48 15 (1953年/改造)
   ↓
 マシ49 3  (1954年/改造)


<形式変遷表>
 スシ37700 (1928)→ スシ37 1〜38 (1941)─→ マハ47 161〜198(1944)──────────────────→ マハ29 21〜48(1953)
   〜37738                    │
                          ├→ スイネ39 1(1948)→ スヤ39 1(1948)→ スイ48 1(1950)→ スイ99 1(1953)
                          └────────────────────→ マヤ38 1(1951)→ マヤ29 1(1953)
 スシ37740 (1930)→ スシ37 39〜57(1941)─→ スハ(シ)48(1944) ──────────→ スシ48 1〜3 (1953)
   〜37758       |             └───────→ スシ37(1946)┬→ スシ28 1〜5 (1953)
             |                             └→ マシ29 1〜4 (1953)
             └─────────→ マハ47 199〜205(1944)────────→ マハ29 61〜67(1953)
                           ┌───────→ スシ37(1946)┬→ スシ28 101,102,151 (1953)
 スシ37800 (1933)→ スシ37 58〜78(1941)─→ スハ(シ)48(1944) ─┬┐      └→ マシ29 101,105〜110(1953)
   〜37820       │             │        ││
             │           スシ39 4 (1946)  ││             スシ28 103〜105(1953)
             │             ↓        ││               ↑
             │           スシ37 64(1949) ─┴│→ スシ47 1〜3(1949)→ マシ29 102〜104(1953)
             ├──────────────────────│→ スシ47 11 (1949)→ マシ29 201(1953)
             │                      │
             │                      └─────→ スシ48 11〜14,16(1953)
             │                               ├──────────→ マシ49 1〜3(1954)
             └────────────────→ スハシ37 11(1949)─→ スシ48 15(1953)



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◆スシ38 (マシ38)
 スシ38 1〜6(旧マシ37850〜37855、冷房付)
 マシ38 1〜5(旧スシ38、冷房付)
 スシ38形は 国鉄初の冷房装置付き食堂車で、1936〜1938(昭和11〜13)年に大井工で6両製造された。車体形状は丸屋根形で、新製食堂車としては初めて側窓に1200mmの広窓(二重窓)を採用している。車内設備等はスシ37 58〜78とほとんど同じで、車内配置は前位から順に物置、車掌室・喫煙室、食堂(定員30名)、調理室、物置となっており、台車はTR73を使用している。製造当初はスシ37850〜37855という車番であったが、昭和16(1941)年の称号改正でスシ38 1〜6に改番された。戦前は特急「つばめ」「富士」で使用され、戦時中も戦時改造が行われなかったが(1両は戦災廃車)、戦後はほかの優等車とともに進駐軍に接収され食堂車として使用された。接収解除後は特急「さくら」「さちかぜ」などで使用され、1953(昭和28)年にマシ38 1〜5に改番され、その後も急行「瀬戸」「安芸」などで使用されたが 1968(昭和43)年に全車廃車となり形式消滅となった。

<形式変遷表>
 スシ37850〜37855(1936)─→ スシ38 1〜6(1941)─→ マシ38 1〜5(1953)

マシ38 4
マシ38 4(東シナ 岡山駅、1961年 5月

 写真:「北総レール倶楽部」より提供

 <車両履歴>
  スシ37853 (1937年/新製)
    ↓
  スシ38 4 (1941年/改番)
    ↓
  マシ38 4 (1953年/改番)



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◆マロシ37、スロシ38 スハシ29スハシ37スハシ38、マハ49)
 マロシ37 1〜5(ダブルルーフ車、旧マロシ37900〜37904←マイシ37900〜37904)
 スロシ38 1〜5(ダブルルーフ車、旧スロシ37950〜37954)
6〜20(旧スロシ38000〜38014)

 マハ (シ) 49 1〜5(ダブルルーフ車、旧マロシ37、戦時改造)
6〜10(ダブルルーフ車、旧スロシ38、戦時改造)
11〜24(旧スロシ38、戦時改造)
 マロシ37形は 1931(昭和6)年に大宮工で製造された1等食堂車マイシ37900〜37904を格下げ改造した2等食堂車。車体は二重屋根(ダブルルーフ)にリベット付きで 台車はTR73を使用しており、製造当初の車内配置は前位から順に物置、調理室、食堂(定員12名)、給仕室・喫煙室、1等室(転換クロスシート、定員10名)、便所・洗面所となっていた。門司〜長崎・鹿児島間の急行で使用していたが、1934(昭和9)年に九州内の1等車が廃止となったため、1935〜1936(昭和10〜11)年に後藤、小倉工で給仕室、喫茶室を撤去してマロシ37900〜37904に格下げ改造して(定員:2等13名、食堂18名)、3両は大阪〜大社間の急行に、2両は北海道内の急行に転用された。1941(昭和16)年の称号改正でマロシ37 1〜5に改番され、1944(昭和19)年には戦時改造により全車とも調理室付き3等車マハ49 1〜5写真参照)に格下げされた。戦後は進駐軍に接収されずマハ49形のままであったが、1953(昭和28)年に長野工で全車スハシ38形0番代に改造された。

 スロシ38形は、1941(昭和16)年の称号改正の際に2等食堂車スロシ37950形、スロシ38000形を統合した形式で、1932〜1935(昭和7〜10)年に20両製造された。
 スロシ38 1〜5はマイシ37900形を基本に製造された2等食堂車で、1932(昭和7)年に大宮、鷹取工で5両製造された。車内配置は前位から順に物置、調理室、食堂(定員18名)、2等室(転換クロスシート、定員19名)、便所・洗面所となっており、車体は二重屋根(ダブルルーフ)にTR73台車で同時期のほかの車両と同様である。製造当初はスロシ37950〜37954という車号であったが、1941年(昭和16)年の称号改正でスロシ38 6〜20に改番された。1944(昭和19)年に戦時改造により全車とも調理室付き3等車マハ49 6〜10に格下げされ、戦後は進駐軍に接収されずマハ49形のままであったが、1951(昭和26)年に1両がスハシ37形に改造され、1953(昭和28)年に残りの4両がスハシ38形0番代または北海道向けのスハシ38形20番代に改造された。

 スロシ38 6〜20はスロシ37950形(後のスロシ38 1〜5)に引き続き製造された2等食堂車で、1933〜1935(昭和8〜10)年に日本車輌および鷹取、小倉工で15両製造された。窓配置や車内設備等はスロシ38 1〜5とほとんど同じとなっているが、車体形状が丸屋根形に変更されている。製造当初はスロシ38000〜38014という車号であったが、昭和16(1941)年の称号改正でスロシ38 6〜20に改番された。昭和17(1942)年に1両がスロハ37形(スロハ37 6)に改造され、1944(昭和19)年には戦時改造により調理室付き3等車に格下げ改造されてマハ49 11〜24となった。3両が戦災により廃車となり、戦後は3両が進駐軍に接収されて簡易食堂車スシ39形(後にスハシ37形に改造)に改造された。1949(昭和24)年に1両が廃車となり、1950〜1951(昭和25〜26)年に3両がスハシ37形(後のスハシ29形)に改造され、1953(昭和28)年に残りの4両がスハシ38形100番代に改造された。

マハシ49 5
マハ49 5(−) 大宮駅、1952年 3月19日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マイシ37904 (1931年/新製)
    ↓
  マロシ37904 (1934年/改造)
    ↓
  マロシ37 5 (1941年/改番)
    ↓
  マハ49 5 (1944年/戦時改造)
    
  スハシ38 5 (1953年/改造)



(戦後復元整備車)
 スハシ37 1, 3, 4(旧スシ39←マハ(シ)49←スロシ38)
2, 5, 6(旧マハ(シ)49←スロシ38)
7(ダブルルーフ車、旧マハ(シ)49←スロシ38)
11(旧スシ37)
 スハシ38 1〜5(ダブルルーフ車、旧マハ(シ)49←マロシ37)
6(ダブルルーフ車、旧マハ(シ)49←スロシ38)
21〜23(ダブルルーフ車、旧マハ(シ)49←スロシ38、北海道向け)
101〜104(旧マハ(シ)49←スロシ38)
 スハシ29 1 (ダブルルーフ車、旧スハシ37)
101〜106(旧スハシ37)
 スハシ37形は 戦争中に廃止されていた食堂車復活のために戦時改造により調理室付き3等車に格下げられていたマハ49形(旧スロシ38形)または接収解除となったスシ37・スシ39形を改造した3等食堂車で、1949〜1951(昭和24〜26)年に8両改造された。その後、1953(昭和28)年の称号改正でスハシ29形に改番され、その際に二重屋根(ダブルルーフ)の0番代と丸屋根形の100番代に区分整理された。
 スハシ37 1〜7は スロシ38形からの格下車マハ49形または接収解除となった簡易食堂車スシ39形(旧スロシ38形)を改造したグループで、1949〜1951(昭和24〜26)年に五稜郭、盛岡、大宮工で7両改造された。スハシ37 1〜6はスロシ38形(旧スロシ37950形)からの改造車のため車体形状は丸屋根形で、スハシ37 7はスロシ38形(旧スロシ38000形)からの改造車のため車体形状は二重屋根(ダブルルーフ)となっている。車内配置は前位から順に出入台、洗面所・便所、3等室(クロスシート、定員24名)、食堂(定員18名)、調理室、物置となっている。台車は種車のTR73を使用している。オハシ30形とともに戦後初の日本人向けの食堂車として函館、仙台などに配属され、函館〜釧路間、上野〜仙台間や東京〜鹿児島間の急行などで使用されたが、1953(昭和28)年の称号改正でスハシ29形0番代またはスハシ29形100番代に改番された。

 スハシ37 11は 丸屋根形のスハ48形(旧スシ37形)を改造したグループで、1949(昭和24)年に盛岡工で1両改造された。オハシ30形やスハシ37形0番代とともに東京〜鹿児島間の急行などで使用されたが、1953(昭和28)年にスシ48形に改造されたため区分消滅した。

 スハシ29 1は 1953(昭和28)年の称号改正の際に二重屋根(ダブルルーフ)のスハシ37形(スハシ37 7)を改番整理したグループである。函館に配属され スハシ29形100番代やスハシ38形とともに急行「大雪」「アカシヤ」「まりも」などで使用されたが、1961(昭和36)年に廃車され区分消滅した。

 スハシ29 101〜106は 1953(昭和28)年の称号改正の際に丸屋根形のスハシ37形(スハシ37 1〜6)を改番整理したグループである。函館、仙台に配属され 北海道や上野〜東北間の急行で使用されたが、1962(昭和35)年までに廃車または和式客車スハ88形、工事車スヤ39形(スヤ39 31)へ改造されたため形式消滅した。

 スハシ38形は 格下げられていた調理室付き3等車の中でスハシ37形に復元改造されずに残っていたマハ49形を改造した3等食堂車で、1953(昭和28)年に13両改造された。
 スハシ38 1〜6マロシ37形(旧マイシ37900形)またはスロシ38形からの格下車マハ49形を改造したグループで、1953(昭和28)年に旭川、長野工で6両改造された。スハシ38 1〜5はマロシ37形(旧マイシ37900形)からの改造車で、スハシ38 6はスロシ38形からの改造車となっているが、いずれも車体形状は二重屋根(ダブルルーフ)で窓配置も同じである。車内配置は前位から順に出入台、洗面所・便所、3等室(クロスシート、定員16名)、車掌室・従業員控室、食堂(定員18名)、調理室、物置となっているが、3等室は当時の新製車スハ43系と同様の設備に改善されている。台車は種車のTR73を使用しているが、スハシ38 1〜3はスシ48形0番代と台車交換したためTR74を使用している。青森、竹下(後に尾久などへ転属)に配属され 上野〜東北間の急行「十和田」「北斗」などや東京〜博多間の急行「玄海」(写真参照)で使用されたが、1967(昭和42)年までに全車廃車され形式消滅した。

 スハシ38 21〜23スロシ38形からの格下車マハ49形を北海道向けに改造したグループで、1953(昭和28)年に旭川工で3両改造された。車体は二重屋根(ダブルルーフ)にTR73台車で同時期のほかの車両と同様となっているが、北海道向けのため二重窓付きとなっている。函館などに配属され 急行「大雪」「アカシヤ」「まりも」などで使用されたが、1966(昭和41)年までに廃車され区分消滅した。

 スハシ38 101〜104は丸屋根形のスロシ38形からの格下車マハ49形を改造したグループで、1953(昭和28)年に旭川工で4両改造された。窓配置や車内設備等はスハシ38 1〜6とほとんど同じであるが、車体形状が丸屋根形であるため別区分になっている。宮原に配属され 急行「日本海」で使用されたが、1961(昭和36)年までに廃車され区分消滅した(スハシ38 102は大阪の交通科学博物館で静態保存されている)。

スハシ38 1
スハシ38 1(門タケ 京都駅、1955年 3月30日

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  マイシ37900 (1931年/新製)
    ↓
  マロシ37900 (1934年/改造)
    ↓
  マロシ37 1 (1941年/改番)
    ↓
  マハ49 1 (1944年/戦時改造)
    ↓
  スハシ38 1 (1953年/改造)


<形式変遷表>
 マイシ37900 (1931)
    〜37904
    ↓
 マロシ37900 (1934)→ マロシ37 1〜5 (1941)─→ マハ(シ)49 1〜5 (1944)───────────────→ スハシ38 1〜5 (1953)
    〜37904                                             ┌→ スハシ38 6 (1953)
                                                     ├→ スハシ38 21〜23(1953)
 スロシ37950 (1932)→ スロシ38 1〜5 (1941)─→ マハ(シ)49 6〜10 (1944)┬─────────────┘
    〜37954                               └→ スハシ37 7 (1951)───→ スハシ29 1 (1953)
 スロシ38000 (1933)→ スロシ38 6〜20(1941)─→ マハ(シ)49 11〜24(1944)┬──────────────→ スハシ38 101〜104(1953)
    〜38014       ↓           │           │
               スロハ37 6(1942)   │           └→ スハシ37 2,5,6 (1950)┬→ スハシ29 101〜106(1953)
                           └→ スシ39 1〜3(1946)─→ スハシ37 1,3,4 (1949)┘    │
                                                         ├スハ88 1 (1960)→ スロ88 1(1972)
                                                         └スヤ39 31(1962)→ スル38 1(1969)
                                (スシ37 67)─→ スハシ37 11(1949)─→(スシ48 15)─→(マシ49 3)


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