郵 便 車 (Part2)
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◆オユ10
 オユ10 1〜10, 2011〜2039, 40〜44, 2045〜2058(2000番代は電気暖房付)
2501〜2517(北海道向け、電気暖房付)
2521〜2537(北海道向け、冷房・電気暖房付)
2551〜2583(冷房・電気暖房付)
1001〜1005(冷房付)
 10系客車に準じた軽量構造で製造された最初の郵政省所有の郵便車で、1957〜1971(昭和32〜46)年の15年間にわたって、一般形58両、北海道向け14両、合計72両が製造された。
 オユ10 1〜10, 2011〜2039, 40〜44, 2045〜2058は一般形として製造されたグループで、1957〜1971(昭和32〜46)年に汽車製造、新潟鉄工所、日本車輌、富士重工業で58両製造された。室内は1955(昭和30)年に製造されたスユ42形に準じた配置(前位から小包締切郵便室、便所、郵便区分室、通常締切郵便室、車掌室)となっており、車体構造はナハ10系と同様の軽量構造である。郵袋室の積載荷重は8tで、台車はTR50C(オユ10 16〜はTR200A)である。製造当初は全車非冷房であったが、電気暖房無しの5両は 1973(昭和48)年に屋根を低屋根化して分散形冷房装置AU13Aを3台取り付け(電源はディーゼル発電機式)、オユ10 1001〜1005に改番された。電気暖房付の33両は 1973〜79(昭和48〜54)年に冷房取付改造と同時に耐寒耐雪設備改造を行い オユ10 2551〜2583となり、さらに電気暖房付の3両が1974(昭和49)年に冷房取付改造を施行せずに乗務員室窓の二重窓化等の北海道向け改造を行い オユ10 2515〜2517となった。冷房化されずに残った17両は1984(昭和59)年までに全車廃車となり番代消滅した。

 オユ10 2501〜2514は北海道向けとして製造されたグループで、1965〜1966(昭和40〜41)年に汽車製造、新潟鉄工所、日本車輌で14両製造された。乗務員室窓の二重窓、温気暖房装置等の北海道向け設備を装備した以外は一般形と同一であるが、首都圏〜北海道の青函航送で使用する(東北地区を走行)ため当初から電気暖房付となっている。1974(昭和49)年、一般形3両が冷房取付改造を施行せずに北海道向け改造を施行しオユ10 2515〜2517に編入されているが、1976〜78(昭和51〜53)年に冷房取付改造を施行したためオユ10 2521〜2537に改番された。1984(昭和59)年まで首都圏(隅田川)〜北海道間の青函航送で使用されたが、運用廃止後は間もなく全車廃車となり番代消滅した。

 オユ10 2551〜2583は 一般形に冷房取付改造と同時に耐寒耐雪設備改造を行った北海道運用可能車で、1973〜79(昭和48〜54)年に大宮、長野、高砂、小倉、鹿児島工で33両改造された。改造後も従来の運用で使用されていたが、1984(昭和59)年に約半数が廃車となり、さらに1986(昭和61)年の鉄道郵便輸送廃止により残りの半数も廃車となり形式消滅となった。

オユ10 2560
オユ10 2560(盛アオ
土崎工場、1986年 9月16日

 <車両遍歴>
  オユ10 2046(1969年/新製)
    ↓
  オユ10 2560(1975年/改造)
    
   −−−  (1986年/廃車)




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◆オユ11
 オユ11 1〜11
101〜105(電気暖房付は+2000)
2501〜2505(旧オユ11100番代、北海道向け、冷房・電気暖房付)
1001〜1011(旧オユ110番代、冷房付)
 オユ10形と共に製造された郵政省所有の郵便車で、1957〜1971(昭和32〜46)年に16両製造された。
 オユ11 1〜11は 1957〜1966(昭和32〜41)年に一般形として製造されたグループで、新潟鉄工所、日本車輌、富士重工業で11両製造された。車内はオユ10形に準じた配置(前位から小包締切郵袋室、便所、郵便区分室、通常締切郵袋室、車掌室)であるが、郵便区分室がオユ10形に比べ広く締切郵袋室が狭くなったため、積載荷重は7tである。車体構造はナハ10系と同様の軽量構造で、台車はTR50C(オユ11 7〜11はTR200A)である。製造当初は全車非冷房であったが、 1972〜1975(昭和47〜50)年に屋根を低屋根化して分散形冷房装置AU13Aを3台取り付け(電源はディーゼル発電機式)、オユ11 1001〜1011に改番された。首都圏(汐留)〜門司間を中心に使用されたが、運用減少に伴い1984(昭和59)年までに全車廃車となり番代消滅した。

 オユ11 101〜105は 1971(昭和46)年に一般形として増備されたグループで、日本車輌、富士重工業で5両製造された。車体構造は12系客車と同様の構造で、当初より屋根が低屋根化され分散形冷房装置AU13Aが4台取り付けられている(電源はディーゼル発電機式)。1982(昭和57)年に電気暖房取付改造と同時に乗務員室窓の二重窓化等の北海道向け改造を行い オユ11 2501〜2505となった。改造後は札幌に転属し北海道内で使用されたが、1985(昭和60)年に米子に転属し山陰地区で使用されたが、1986(昭和61)年の鉄道郵便輸送廃止に伴い全車廃車となり形式消滅した。

オユ11 8
オユ11 8(門モコ 京都駅、1963年 -月

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  オユ11 8  (1962年/新製)
    
  オユ11 1008(1975年/改造)
    ↓
   −−−  (1982年/廃車)
オユ11 2501
オユ11 2501(米ヨナ
和田山駅、1986年 2月27日

 <車両遍歴>
  オユ11 101 (1971年/新製)
    ↓
  オユ11 2501(1982年/改造)
    
   −−−  (1986年/廃車)




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◆オユ12、スユ13
 オユ12 1〜14, 20〜28, 33〜35
31(旧スユ13)
 スユ43形に続いて製造された郵政省所有の護送便専用郵便車で、1958〜1962(昭和33〜37)年に汽車製造、新潟鉄工所、日本車輌、富士重工業で26両製造された。車内は前後に出入台を設けており、前位から順に締切郵袋室、便所・休憩室、締切郵袋室、車掌室が配置されている。郵袋室の積載荷重は12tで、台車はTR50D(オユ12 33以降はTR200B)を使用している。1959(昭和34)年にオユ12 7が事故廃車となったため、1960(昭和35)年に2代目のオユ12 7が汽車製造で製造された。1959(昭和34)年に1両が電気暖房取付改造を行いスユ13形となり、1976(昭和51)年にスユ13形1両が電気暖房の撤去を行いオユ12 31に編入されているが、後継車スユ15形が製造されたため1982(昭和57)年までに全車廃車となったため形式消滅した。



 スユ13 2015〜2019, 2029〜2032, 2036〜2039(電気暖房付)
2014(旧オユ12、電気暖房付)
 オユ12形に電気暖房を追加して重量増加となり「ス」級となった郵政省所有の護送便専用郵便車で、1959〜1963(昭和34〜38)年に新潟鉄工所、日本車輌、富士重工業で14両製造された。車内は前後に出入台を設けており、前位から順に締切郵袋室、便所・休憩室、締切郵袋室、車掌室が配置されている。郵袋室の積載荷重は12tで、台車はTR50D(スユ13 2029以降はTR200B)を使用している。1959(昭和34)年にオユ12形1両が電気暖房取付改造を行いスユ13 2014に編入され、1976(昭和51)年に1両が電気暖房を撤去しオユ12形に改造されているが、後継車スユ15形が製造されたため1984(昭和59)年に全車廃車となったため形式消滅した。


オユ12 4
オユ12 4(門モコ 京都駅、1963年 -月

 写真:奥野利夫氏より提供

 <車両履歴>
  オユ12 4 (1958年/新製)
    
   −−− (1980年/廃車)



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◆オユ14、スユ16
 オユ14 1〜4(第1種車)
201〜205(第2種車)
 1971(昭和46)年製のオユ11形100番代に続いて製造された郵政省所有の郵便車で、1972(昭和47)年に近畿車輌、新潟鉄工所、日本車輌で9両製造された。室内はオユ11形100番代に準じた配置(前位から小包締切郵便室、便所、郵便区分室、通常締切郵便室、車掌室)となっているが、通常締切郵便室の荷物扉の拡幅と位置の変更、台車の変更(110km/h走行可能な空気バネ付きのTR217E)等が行われている。オユ11形100番代と同じ区分室配置の第1種車(オユ14 1〜4)と区分室設備を変更した第2種車(オユ14 201〜205)の2種類があり、郵袋室の積載荷重は第1種車は7t、第2種車は8tとなっている。台車は110km/h走行が可能な空気バネ付きのTR217Eを使用している。1986(昭和61)年の鉄道郵便輸送廃止により、1987(昭和62)年までに全車廃車となり形式消滅した。



 スユ16 2001〜2013(第1種車、電気暖房付)
2201〜2207(第2種車、電気暖房付)
 1972(昭和47)年製のオユ14形に電気暖房を追加して重量増加となり「ス」級として製造された郵政省所有の郵便車で、1973〜1979(昭和48〜54)年に川崎車輌、近畿車輌、新潟鉄工所、日本車輌、富士重工業で20両製造された。車内はオユ14形と同じ配置(前位から小包締切郵便室、便所、郵便区分室、通常締切郵便室、車掌室)で、第1種車(スユ16 2001〜2013)はオユ14 1〜4と同一の車体で、第2種車(スユ16 2201〜2207)はオユ14 201〜205と同一の車体構造となっている。郵袋室の積載荷重は第1種車は7t、第2種車は8tで、台車は110km/h走行可能な空気バネ付きのTR217Eを使用している。1986(昭和61)年の鉄道郵便輸送廃止に伴い全車廃車となり形式消滅した。


オユ14 3
オユ14 3(米イモ
下関駅付近、1986年 3月 4日

 <車両遍歴>
  オユ14 3 (1972年/新製)
    ↓
   −−− (1986年/廃車)

スユ16 2207
スユ16 2207(大ミハ
京都駅、1986年 2月26日

 <車両遍歴>
  スユ16 2207(1979年/新製)
    
   −−−  (1986年/廃車)




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◆スユ15
 スユ15 2001(電気暖房付)
2002〜2018(電気暖房付)
2019〜2039(電気暖房付)
 オユ12形スユ13形に続いて製造された郵政省所有の護送便専用郵便車で、1973〜1982(昭和48〜57)年に39両製造された。1986(昭和61)年の鉄道郵便輸送廃止により、1987(昭和62)年までに全車廃車となり形式消滅した。
 スユ15 2001は 事故廃車となったスユ43 3の補充用として1973(昭和48)年に富士重工業で製造された。室内配置はオユ12形、スユ13形に準じた配置(前位から小包締切郵便室、便所、郵便区分室、通常締切郵便室、車掌室)となっているが、郵袋室の積載荷重は14tである。車体構造は電気暖房付きのスユ13形と同じであるが、台車は110km/h走行可能な空気バネ付きのTR217Eとなっている。

 スユ15 2002〜2018は 1979〜1980(昭和54〜55)年に製造されたグループで、同時期に製造されたオユ14形と同様に12系客車に準じた車体構造となり、通風器はガーランド式から押込式に変更され、郵袋室の積載荷重も13tに変更された。

 スユ15 2019〜2039は 1981〜1982(昭和54〜55)年に製造されたグループで、同時期に製造された50系客車と同様の折妻車体となっている。出入台、手すりやステップ等はマニ50形後期形と同様の形状となり、屋根上にも押込式通風器の他に排気扇が2カ所設置されている。

スユ15 2003
スユ15 2003(門モコ
名古屋駅、1986年 2月26日

 <車両遍歴>
  スユ15 2003(1979年/新製)
    
   −−−  (1986年/廃車)

スユ15 2027
スユ15 2027(北スミ
小樽駅、1986年 9月13日

 <車両遍歴>
  スユ15 2027(1981年/新製)
    
   −−−  (1987年/廃車)




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◆スユ44
 スユ44 1〜12
 パレット輸送専用郵便車として製造された郵政省所有の郵便車で、1971〜1978(昭和46〜53)年に新潟鉄工所、富士重工業、日本車輌で12両製造された。車体構造はスニ40形や荷貨物共用車ワキ8000形に準じており、側面にはアルミ製プレス構造の総開きの引き戸が設けられ、室内にはパレットが24台収納できるようになっている。積載荷重は17tで、台車はスニ40形や高速貨車等と同じTR203を使用している。1986(昭和61)年の鉄道郵便輸送廃止により、1987(昭和62)年に全車廃車となったため形式消滅した。

スユ44 6
スユ44 6(南トメ
名古屋駅、1986年 2月26日

 <車両遍歴>
  スユ44 6 (1972年/新製)
    
   −−− (1987年/廃車)



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