今週の形式写真
鉄道専門のオンライン古本屋「トレインブックス」

BACK】 【HOME

D51 498
D51 498(高)  高崎運転所、1993年 2月21日
D51形(D51 1〜954, 1001〜1161)

 1923〜1931(大正12〜昭和6)年に製造されたD50形(←9900形)に続く本線用大形貨物用の標準形として登場した蒸気機関車で、1936〜1945(昭和11〜20)年に川崎車輌、汽車製造、日立製作所、日本車輌、三菱重工業と鉄道省(後の国鉄)の浜松、大宮、鷹取、小倉、長野、土崎、郡山、苗穂工場(1942年以降は工機部)で合計1115両が製造された(D51 864, 865は樺太恵須取鉄道向け、D51 1161は日本窒素向け製造分をそれぞれ編入、D51 950〜954は胆振縦貫鉄道からの編入車)。使用線区を拡大するためにD50形時代に比べて進歩した溶接技術を多用して車体を軽量化し、車体長や軸距を短くして、D50形では入線できなかった線路等級の低い路線への入線を可能にした。ボイラー圧力をD50形の13.0kg/cm2から14.0kg/cm2へ上げるなど性能の向上が図られている(後に15kg/cm2へ変更)。日本で最初の箱型輪芯(ボックススポーク)を採用するなど、当時の最新技術が投入されている。1936〜1938(昭和11〜13)年に川崎車輌、汽車製造で製造されたD51 1〜85, 91〜100の95両は、煙突から後方に延びた長いドームカバーに砂箱と煙突の間に給水暖め器をレール方向に配置した半流線形(通称:なめくじ)の形状になっている(D51 22, 23号機はドームカバーがさらに運転台まで延びていたが、後に標準のなめくじ形に改造)。なめくじ形は動輪の重量配分が悪く、運転室が狭いため、国鉄浜松工場製の試作機D51 86〜90で給水暖め器を煙突前に枕木方向で搭載するなどの動輪重量均等化や運転室の拡大などの仕様変更が行われ、D51 101以降はこの試作車をもとに量産された。1943(昭和18)年以降に新製された車両は太平洋戦争による資材不足ために木製材料の使用や部品形状などが簡素化されたが、戦後に材質や性能の標準化が行われた(ドームや炭水車の形状などに特徴が残った)。終戦後、それまでの貨物輸送から旅客輸送へと需要が大きく変化し旅客用機関車が不足したため、1948〜1949(昭和23〜24)年に33両が急行旅客列車用のC61形に改造され(ボイラーと一部の部品のみ流用、2両はD51形時代に廃車されている)、さらに1960〜1961(昭和35〜36)年に6両が亜幹線用のD61形に改造された。四国を除く全国の主要幹線で使用されたが、動力近代化のために電気機関車やディーゼル機関車へ置き換えられたため1975(昭和50)年までに全車廃車となり形式消滅した。1988(昭和63)年にD51 498が大宮工で復元整備が実施されて車籍復活し、高崎に配属されて「EL&SL奥利根号」の上越線高崎〜水上間やその他の地区の臨時列車、イベント列車などで使用されている。


HOME】 【BACK (C)Copyright 1999-2008 Masahiro Ito. All rights reserved.