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モハ474-43
モハ474-43(金サワ  富山駅、2007年12月 2日
モハ474形(モハ474-1〜53)
 クモハ475形とユニットを組むパンタグラフ付きの中間電動車(M')で、1965〜1968(昭和40〜43)年に川崎車輌、近畿車輌、日立製作所、日本車輌、汽車製造、帝国車輌工業、東急車輌で53両が製造された。車体構造や客室設備などは先に登場した60Hz用のモハ472形を基本としており(定員84名)、抑速ブレーキの引き通し回路が追加されている。主回路機器はモハ472形と同じで主電動機は出力120kWのMT54を使用している(モハ474-49以降はMT54B)。モハ474-1〜40は非冷房で新製されているが、モハ474-41〜51は分散形AU12S対応の冷房準備工事を施し(4台の冷房装置取付予定部分を塞ぎ板で覆っている)、モハ474-52・53は集中形のAU72対応の冷房準備車に変更されている。1969〜1975(昭和44〜50)年に冷房化改造が施工されて、全車に対してAU72が1台取り付けられた。分散形AU12S対応の冷房準備車であったモハ474-41〜51については、集中形のAU72に変更するため屋根構造の大改造が行われた。パンタグラフは前位側屋根上にPS16Bを1基搭載している(モハ474-35〜48はPS16D、モハ474-49以降はPS16Hに変更)。モハ474-35以降はパンタグラフ部分のファンデリアを2個に増設したため、換気用空気取入口が3個から6個に増えている。台車はDT32Bを使用している(写真のモハ474-43は後位側のみDT32Kに交換されている)。南福岡、金沢の順で新製配置されて、主に大阪〜九州間、九州地区内、大阪〜北陸間などの急行列車で使用されが、1982(昭和57)年までに急行運用から離脱した。その後は、北陸、南九州地区のローカル列車に転用されたが、1986〜1988(昭和61〜63)年に7両がクモハ716形200番代に改造された。現在は金沢、鹿児島に26両在籍するが、鹿児島の7両は2007(平成19)年3月に定期運用を離脱している。


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