オハ35系 (Part2)
【オハ35系 Part 12 】 【HOME


TOPPREVNEXTBOTTOM

◆オハ35 (オハ40)
 オハ35 1〜693(旧スハ33650〜33979, 35070〜35249, 35400〜35438、オハ35 550以降は新番号で出場、丸屋根形、電気暖房付は+2000)
700〜1307(半切妻形、電気暖房付は+2000)
694〜696, 1308〜1314(改造編入車、事故復旧車、電気暖房付は+2000)
1501, 1502(半切妻形、北海道向け)
 オハ40 1〜54(旧オハ35、戦時改造)
 オハ35系の中心形式として製造された座席車で、1939〜1949(昭和14〜24)年の10年間(一時中断含む)にわたって1301両製造された。その後、スハ42形など他形式から8両が改造編入されている。
 オハ35 1〜693は戦前および終戦直後に製造されたグループで、1939〜1943(昭和14〜18)年と1946(昭和21)年に日本車輌、日立製作所、新潟鉄工所、汽車製造、梅鉢車輌(帝国車輌)、田中車輌、川崎車輌および大宮、大井、鷹取、小倉工で581両製造された。車体形状は丸屋根形で、台車はTR23となっている。1939〜1941(昭和14〜16)年に製造された549両はスハ33650〜33979,35070〜35249,35400〜35438という車号であったが、1941(昭和16)年にオハ35 1〜549に改番され、1941(昭和16)年に製造されたオハ35 550〜581は新番号で出場している。このグループには国鉄工場で製造された試作車が88両存在し、これらの車両は張り上げ屋根、ノーヘッダー車、ノーシル・ノーヘッダー車など変形車となっている。1943(昭和18)年に東海道線(東京口)用の54両が大井工で戦時改造(定員増対策)により出入台付近がロングシート化されオハ40形となり、戦災では53両が廃車(オハ40形を含む)となった。1946(昭和21)年に戦前製と同じ丸屋根形でオハ35 582〜693が増備されたが、一方では一部のオハ35形が進駐軍に接収され3等車、クラブ車、酒保車などに使用され、その一部はオイ31形、オハネ32形、オハニ35形、オミ35形、オミ46形に改造されたが、1956(昭和31)年までに接収解除となりオハ35形に復旧され、オハ40形改造車も1953(昭和28)年(まで?)にオハ35形に復旧された。1949(昭和24)年に急行列車の食堂車復活用として3両がオハシ30形に改造され、1964(昭和39)年以降は オハフ33形1000番代に31両、オハフ33形1500番代に1両、マニ36形200番代に10両、職用車オヤ35形(控車)に1両が改造された。

 オハ35 694〜696は 戦災復旧による編入車で、戦災を受けたオハ35 82、オハ35 566を復旧したオハ35 694、オハ35 696、スハ42 50を復旧したオハ35 695の3両がオハ35 693の追番として編入された。

 オハ35 700〜1307は 1946〜1948(昭和21〜23)年に帝国車輌、日本車輌、日立製作所、新潟鉄工所で製造されたグループで、車体形状は折妻形または折妻端狭形となっており(出入台部分の雨樋と屋根端部の形状が異なる)、台車もコロ軸受けのTR34に変更されている。1964(昭和39)年以降、「和式客車」オハ80形(後のオロ80形)に8両、オハフ33形1000番代に1両、オハフ33形1500番代に66両、マニ36形200番代に34両、試験車オヤ36形50番代(架線観測車)に1両が改造された。

 オハ35 1308〜1314は他形式からの編入車で、1949〜1954(昭和24〜29)年にスハ42形のTR40台車をマイネ40形オロ42形、スヤ51形と交換したオハ35 1308〜1313、1956(昭和31)年に事故車スハ32 266を名古屋工で復旧したオハ35 1314(後にオハフ33 1011に改造)が新製車オハ35 1307の追番として編入された。

 オハ35 1501, 1502は北海道向け改造車で、1977(昭和52)年に旭川車両センターで2両改造された。改造では北海道向けに客窓の二重窓化等の耐寒改造を施工している。元来オハ35系は北海道向けに製造された車両が多数存在しているが(車番等に区別なし)、後から北海道向けの改造を行ったためこのように別区分が設定された。オハ35 1501は 1978(昭和53)年に緩急設備を取り付けオハフ33形1500番代に改造された。

オハ35 22
大井川鉄道で活躍するオハ35形の最若番号車.

オハ35 22(大井川鉄道)
新金谷駅、2002年 9月10日

 <車両履歴>
  スハ33671 (1939年/新製)
    ↓
  オハ35 22 (1941年/改番)
    ↓
  オハ35 2022(19--年/電暖化)
オハ35 149
小倉工で製造された張り上げ屋根・ノーヘッダー試作車.

オハ35 149(大井川鉄道)
新金谷駅、2002年 9月21日

 <車両履歴>
  スハ33798 (1940年/新製)
    ↓
  オハ35 149 (1941年/改番)
    ↓
  オハ35 2149(19--年/電暖化)
オハ35  2556
オハ35 2556(盛モカ
北上操車場跡地、1988年 5月29日

 <車両履歴>
  オハ35 556 (1942年/新製)
    ↓
  オハ35 2556(19--年/電暖化)
オハ35 2872
オハ35 2872(名マイ
米原客貨車区、1985年 8月--日

 <車両履歴>
  オハ35 872 (1946年/新製)
    ↓
  オハ35 2872(19--年/電暖化)
オハ35 1157
オハ35 1157(四カマ
多度津駅、1986年 2月28日

 <車両履歴>
  オハ35 1157(1947年/新製)



TOPPREVNEXTBOTTOM

◆オハフ33 (オハフ34)
 オハフ33 1〜346(旧スハフ34720〜35043、丸屋根形、22両は新番号で出場、電気暖房付は+2000)
347〜606(半切妻形、電気暖房付は+2000)
607〜626(旧スハフ41、半切妻形、電気暖房付は+2000)
627(旧スハフ32、事故復旧車、切妻形)
630(旧スハフ42、切妻形)
1001〜1033(旧オハ35、TR23台車付、電気暖房付は+2000で出場)
1501〜1568(旧オハ35、TR34台車付、電気暖房付は+2000で出場)
 オハフ34 1, 2(旧オハフ33、戦時改造)
 オハ35形とともに登場した緩急設備付の座席車で、1939〜1948(昭和14〜23)年にかけて606両製造された。その後、オハ35形スハフ42形など他形式から122両が改造編入されている。
 オハフ33 1〜346は戦前に製造されたグループで、1939〜1943(昭和14〜18)年に田中車輌、汽車製造、川崎車輌、梅鉢車輌(帝国車輌)、新潟鉄工所で346両製造された。車体形状は丸屋根車であり、台車はTR23である。1941年(昭和16)年までに製造された324両はスハフ34720〜35043という車号であったが、1941年(昭和16)年にオハフ33 1〜324に改番された。なお、オハ35形のように変形車や戦後製の丸屋根形は存在しない。1943(昭和18)年に東海道線(東京口)用の2両が大井工で戦時改造(定員増対策)により出入台付近がロングシート化されオハフ34形となり、戦災では30両が廃車となった。戦後は進駐軍に接収され3等車、クラブ車、病院車、酒保車に使用され、一部はオイ31形、オハネ32形、オヘ32形に改造されたが、1955(昭和30)年までに接収解除となりオハフ33形に復旧され、オハフ34形改造車も1953(昭和28)年(まで?)にオハフ33形に復旧された。1950(昭和25)年に事故車オハフ33 49が大井工で進駐軍の鉄道現場視察用として特別職用車スヤ51形(後のマイフ97形)に改造され、1977(昭和52)年に1両が保健車スヤ32形に改造された。

 オハフ33 347〜606は 1947〜1948(昭和22〜23)年に新潟鉄工所、日本車輌、日立製作所で製造されたグループで、車体形状が半切妻形となり台車もコロ軸受けのTR34に変更された。1969〜1970(昭和44〜45)年に3両が「和式客車」オハフ80形(後のオロフ80形)に改造された。

 オハフ33 607〜626スハフ41形から編入したグループで、スハフ41 1〜20のTR40とマイネ40形のTR34と台車交換して1949(昭和24)年に新製車オハフ33 606の追番として編入された。

 オハフ33 627は事故車スハフ32 257を1956(昭和31)年に小倉工で復旧した編入車で、車体はオハ46形と同様の軽量タイプの完全切妻車体となっている。

 オハフ33 630スハフ42形に更新修繕を施工し軽量化して「オ」級となったためオハフ33形に編入したグループで、1960(昭和35)年に幡生工で1両改造された。改造では車内の蛍光灯化、窓のアルミサッシ化などの近代化施工が行なわれ、軽量化のため水タンク、蓄電池箱は10系客車同様のものと交換している。車体は種車がスハ43系のため完全切妻形となっており、台車は種車のTR47をそのまま使用している。

 オハフ33 1001〜1033はTR23台車付きのオハ35形に緩急設備を取り付けオハフ33形に編入したグループで、1964〜19--(昭和39〜--)年に旭川、五稜郭、長野、高砂、後藤、多度津工で33両改造された。車体は(主に)丸屋根形となっているが、改造時に併せて近代化改造を併施している車両は 窓枠のアルミサッシ化、室内灯の蛍光灯化などが行われている。なお、オハフ33 1011はスハ32 266を事故復旧したオハ35 1314を種車としているため、オハ46形と同様の軽量タイプの完全切妻車体(後に台車をTR34に交換)となっている(写真参照)。

 オハフ33 1501〜1568はTR34台車付きのオハ35形に緩急設備を取り付けオハフ33形に編入したグループで、1964〜1978(昭和39〜53)年に旭川、盛岡、長野、高砂、後藤、多度津、小倉工で68両改造された。一部の車両は改造時に併せて近代化改造を併施しており、窓枠のアルミサッシ化、室内灯の蛍光灯化などが行われている。なお、オハフ33 1517は事故復旧車オハ35 923を種車としているため、オハ46形と同様の軽量タイプの完全切妻車体となっている。1970(昭和45)年に1両が「和式客車」オハフ80形(後のオロフ80形)に改造された。

オハフ33 126
オハフ33 126(福フチ
豊岡駅、1986年 2月27日

 <車両履歴>
  スハフ34845 (1939年/新製)
    ↓
  オハフ33 126 (1941年/改番)
オハフ33 2402
オハフ33 2402(新ナオ
新津駅、1988年11月20日

 <車両履歴>
  オハフ33 402 (1947年/新製)
    ↓
  オハフ33 2402(19--年/電暖化)
オハフ33 1002
オハフ33 1002(四コチ
阿波池田駅、1986年 2月28日

 <車両履歴>
  スハ33876  (1941年/新製)
    ↓
  オハ35 227  (1941年/改番)
    ↓
  オハフ33 1002(1965年/改造)
オハフ33 1011
オハフ33 1011(福フチ
和田山駅、1986年 2月27日

 <車両履歴>
  スハ32929  (1937年/新製)
    ↓
  スハ32 266  (1941年/改番)
    ↓
  オハ35 1314 (1956年/改造)
    ↓
  オハフ33 1011(1965年/改造)
オハフ33 3519
オハフ33 3519(盛モカ
北上操車場跡地、1989年 5月 7日

 <車両履歴>
  オハ35 929  (1947年/新製)
    ↓
  オハ35 2929 (19--年/電暖化)
    ↓
  オハフ33 3519(1965年/改造)



TOPPREVNEXTBOTTOM

◆スハ42、スハフ41
 スハ42 1〜140(半切妻形、電気暖房付は+2000)
501〜506(半切妻形、北海道向け)
 スハフ41 1〜20(半切妻形)
 スハ42形は戦後製の半切妻形オハ35形の増備車で、1948〜1950(昭和23〜25)年に日本車輌、日立製作所、新潟鉄工所で140両製造された。車体形状は半切妻形(折妻形)となっており、台車は新設計でウィングバネ付のTR40に変更されている。なお、スハ42形のTR40台車をマイネ40形オロ42形、スヤ51形と台車交換した7両はオハ35 1308〜1313に改番されている。その後、車体の更新修繕を施工し軽量化した車両はオハ36形となり、さらに電気暖房を取り付けた車両はスハ40形に形式変更された。1976〜1978(昭和51〜53)年には旭川、五稜郭車両センターで北海道向け改造を施工し、スハ42 501〜506に改番され、さらに1両は1978(昭和53)年に緩急設備の取り付け改造(車掌室の設置改造)を施工しスハ43系のスハフ42 523に編入された。晩年は車内の蛍光灯化、窓のアルミサッシ化などの近代化施工が行なわれたが、1987(昭和62)年までに全車廃車となり形式消滅した。

 スハフ41形は戦後製オハフ33形の増備車としてスハ42形とともに登場した緩急設備付の座席車で、1948(昭和23)年に日本車輌で20両製造された。車体形状はスハ42形と同様に半切妻形(折妻形)で、新設計のTR40台車付で新製されたが、翌1949(昭和24)年にマイネ40形と台車交換してTR34台車付となりオハフ33形(オハフ33 607〜626)に形式変更されたため形式消滅となった。

スハ42 62
スハ42 62(福フチ
西舞鶴駅、1986年 3月10日



TOPPREVNEXTBOTTOM

◆オハ36、スハ40
 オハ36 3〜6, 8, 9, 19〜23, 27, 29, 31〜35, 80〜85, 88〜93, 95〜97, 100〜119, 125〜127, 131〜135(旧スハ42、半切妻形)
501〜507(半切妻形、北海道向け)
 スハ40 2082〜2085, 2095, 2102, 2103, 2105, 2114, 2115, 2117, 2119, 2133(旧オハ36←スハ42、半切妻形、電気暖房付)
 オハ36形は 半切妻形TR40台車付のスハ42形に更新修繕を施工し軽量化して「オ」級に形式変更した座席車で、1959〜1961(昭和34〜36)年に旭川、盛岡、土崎、長野、幡生、多度津工で61両改造された。更新修繕では車内の蛍光灯化、窓のアルミサッシ化などの近代化施工が行なわれ、10系客車同様の構造となった。1961〜19--(昭和36〜--)年に電気暖房を取り付けて再び重量増となり13両がスハ40形に改番された。1974〜1975(昭和49〜50)年に旭川、五稜郭車両センターで7両が北海道向け改造を行いオハ36 501〜507に改番されたが、1987(昭和62)年までに全車廃車となり形式消滅した。

 スハ40形は上述の通りスハ40形を軽量化して誕生したオハ36形に電気暖房を取り付けて重量増となり再び「ス」級に形式変更した座席車で、1961〜19--(昭和36〜--)年に長野工で13両改造された。主に北陸線、東北線で使用されたが、1987(昭和62)年までに全車廃車となり形式消滅した。

オハ36 125
オハ36 125(函ハコと表記
北海道鉄道記念館、1987年 8月28日

 <車両履歴>
  スハ42 125 (1950年/新製)
    ↓
  オハ36 125 (1959年/改造)
スハ40 2119
スハ40 2119(仙セン
白石駅、1987年 5月 3日

 <車両履歴>
  スハ42 119 (19--年/新製)
    ↓
  オハ36 119 (1959年/改造)
    ↓
  スハ40 2119(1973年/電暖化)



TOPPREVNEXTBOTTOM

◆スハユ31
 スハユ31 1〜3(旧スハユ35330〜35332)
 スハユ30形に続いて製造された広窓丸屋根形の3等郵便車で、1940(昭和15)年に日本車輌で3両製造された。車内は中央部に洗面所と便所が設けられ両側に3等室と郵便室、車掌室が配置されており、郵便室の積載荷重は3tとなっている。車体形状は丸屋根形で、台車はTR23を使用している。製造当初スハユ35330〜35332という車号であったが、1941年(昭和16)年にスハユ31 1〜3に改番された。1950年(昭和25)年に2両がスハニ32形に改造され、残った1両も1968(昭和43)年に廃車となり形式消滅した。



TOPPREVNEXTBOTTOM

◆スハニ32 (スハニ34)
 スハニ32 1〜65(旧スハニ35750〜35814、電気暖房付は+2000)
66, 67(旧スハユ31)
 スハニ34 1〜6(旧スハニ32、戦時改造)
 スハニ31形に続いて製造された広窓丸屋根形の3等荷物車で、1939〜1941(昭和14〜16)年に日本車輌で65両製造された。車内は中央部に洗面所と便所が設けられ両側に3等室と荷物室、車掌室が配置されており、荷物室の積載荷重は5tとなっている。車体形状は丸屋根形で、台車はTR23を使用している。製造当初スハニ35750〜35814という車号であったが、1941年(昭和16)年にスハニ32 1〜65に改番された。1943(昭和18)年に東海道線(東京口)用の6両が大井工で戦時改造(定員増対策)により出入台付近がロングシート化されスハニ34形となり、戦災では3両が廃車となった。戦後は進駐軍に接収されて 26両が2等車、簡易食堂車などに使用され、一部はオイネ31形(後に特別職用車スヤ51形に改造)、スロニ31形、スロニ32形、スロニ35形、オハネ32形、オミ34形、オミ45形に改造されたが、1956(昭和31)年までに接収解除となり全車復元され、スハニ34形改造車も1953(昭和28)年(まで?)にスハニ32形に復旧された(一部はスロニ31形、オハネ32形、オミ45形に改造後スハニ32形に復元)。1950年(昭和25)年にはスハユ31形2両が改造されスハニ32 66,67に編入されているが、この2両は荷物室の窓配置が異なる。1962〜1967(昭和37〜42)年に22両がマニ35形に改造され、1968〜1969(昭和43〜44)年に2両がスエ31形に改造された。1975(昭和50)年に1両が工事宿泊用の工事車スヤ33形に改造され、残りの39両も1979(昭和54)年までに廃車となり形式消滅した。

スハニ32 18
スハニ32 18(大ムコ 向日町運転所、1963年 4月

 写真:「北総レール倶楽部」より提供

 <車両履歴>
  スハニ35767 (1940年/新製)
    ↓
  スハニ32 18 (1941年/改番)


HOME】 【オハ35系 Part 12 】 (C)Copyright 1999-2005 Masahiro Ito.
All rights reserved.